なんちゃって人生論【002】倒れる鉛筆
こんにちは、山本です。
ここ最近、芸能界の美男美女が立て続けに結婚してますね。
「ショックで仕事が手につかない」なんて方も続出しているそうですが、きっとそういう人の中には「こんな人と結婚できたら(ずっと一緒にいられたら)幸せだろうなあ」なんて気持ちが漠然とあるのでしょう。
僕らは美しいもの(人)が好きですからね。
でも実際の自分の現実に目をやると、、、
話変わって。
僕の甥っ子がまだ電車が好きだった頃(今はあの昆虫をモチーフとしたライダー的なヒーローものに夢中です)、彼はテーブルの上にいくつものNゲージを置いて少しずつ動かしては眺めるを1日中して遊んでいました(冗談じゃなく、ほんと1日ずーっとです)。
何がそんなに面白いのか僕としては全く理解不能だったのですが、彼の中ではその置き方には一定の秩序があるご様子。
現に「これは何の車両?」と僕が勝手に取ると「動かしちゃダメ!こっちならいいよ」と彼ルールで支配された卓上の世界。
ちょっとずつ動かしては、テーブルの上から眺め、斜め下から眺め、横から眺め、回り込んで眺め・・・
それはまるで理想とする形をこの世界に具現化させるべく、理想と現実のギャップと戦う彫刻家のよう。
「こいつかっこいいな。」
(当時3歳の)甥っ子が美しく見えた瞬間でした。
僕らには具体的であろうとなかろうと「こんな人生を歩みたい」という理想があるかと思います。
だから日々が例え「♪苦しくったって、悲しくたって」だとしても、例え「何をしていいのかわかない」状態だったとしても、その理想を自分なりに叶えていくために生きているわけですが、ここで、この【理想】についてちょっと考えてみたいのです。
まあ、そんな大袈裟なことではないので肩肘を張らないで聞いてほしいのですが、要するに
「理想には到達できるのか?」
ってことなのです。
わかりやすくモノで考えてみましょうか。
例えば、車。
BSで『愛車遍歴』という番組をやっているおぎはやぎの矢作さんが「まだ理想の一台に出会っていない」的なことを言っていました。
誰もが羨む高級車を何台も乗り継いでいる芸能人。
お金はあるのだから、自分の理想の車(欲しい車)を買えばいいだけじゃないかと思うのだけど、そう単純ではないんでしょうね、きっと。男のロマン的な感じで。
車に興味がないって人でも、なんとなくこの気持ちわかるとは思うのです。
服でも、バックでも、時計でも、靴でも、家でも、食器でも、テレビでも、スマホでも、「私が求めていた理想はこれだ!」と思っていざ手にした瞬間には次の理想が現れてくる。
きっと、あなたにもこんな経験ありますよね?
「完璧な美しさは崩れる運命にある」
とんがった先を下にして、鉛筆を垂直立たせて下さい。
物理学の世界では、鉛筆が垂直に立った姿はとても美しいとされているのですが、現実の世界では垂直に立つことはありません。
絶対に鉛筆は倒れてしまうのです。
これを、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部 陽一郎先生は
「完璧な美しさは崩れる運命にある」
と言い、「当たり前と言えば当たり前なのですが、長い間考えたあげくの解決策でした」と仰っていました。
物理学者というものは究極理論(要するに、最高に美しい公式)を求めているのですが、理論上は最高に美しくても、現実世界では最高の美しさにならない、こんな矛盾と日々格闘しています。
・・・なんか理想を求める僕らに通じる所があると思いませんか?
到達できるかどうかはわからないけれど、その理想に向かって努力する。
決して、「どうせ理想なんて到達できないし、理想がなんなのかもわからない。とりあえず今に満足しているから、このままで十分さ」などと、自分と世界の可能性を閉じることなく、Nゲージを並べ替えたり、車を買い替えたり、はたまた美しい公式を求めたりと全力で戦う。
かっこいいと思いません?
倒れる運命にある鉛筆だけど、垂直に立つよう努力する。
人はそんな姿を【美しい】と感じるのかもしれません。
ここまでありがとうございました。
また次回。
山本