価値は命に従って付いている。

こんにちは、山本です。

もう5年も前になりますが、『椎名林檎から学ぶ群集心理』
という記事を書きました。

『椎名林檎から学ぶ群集心理』

この記事を今でも「好きです」と言って下さる方がいます。

有り難いことですね。

この記事の元となった椎名林檎さんの『ありあまる富』は
今でもよく聞きますが、、、うーん、やっぱり凄いなって
思います。

「凄い」、、、陳腐な表現かもしれません。

正直に言えば、「この歌詞についてもっと語りたい」という
気持ちがないわけではありません。

でも、第三者である僕が語れば語る程、椎名林檎さんの
『ありあまる富』が歪んでしまう。

それは、意味がないというか、してはいけないことですからね。

椎名林檎さんも『ありあまる富』ではこう語っています。

「何故ならいつも 言葉は嘘を孕んでいる」と。

ですので、ご興味がある方は僕の言葉を通してではなく、
ご自身で椎名林檎さんの『ありあまる富』に触れてみて下さい。

http://youtu.be/GvHmMv2JHDk



・・・と言いつつ、今回は『ありあまる富』の歌詞にある
「価値は命に従って付いている」について、
「価値とはなんぞや?」を一緒に考えていけたらと思っております。

ご興味のある方はお付き合い下さいませ。

「よそはよそ、うちはうち」


「○○くんが持ってるから、僕も欲しい!」

「よそはよそ、うちはうち」

小さい頃、母親からよく言われました。

ただ、隣の芝生は青く見えるじゃないけれど、
自分に持っていないものを手にしている人を
羨ましいと思うこと、大人になった今でも
ありますよね?

「あの人の持ってる鞄かっこいいな」ってな感じで。

まあこんな具体的なものじゃなくても、なんとなく
「あの人のライフスタイルに憧れる」ってのも、
その一つだと思います。

ただね、ここで勘違いしてはいけないのが、
「皆がそれを欲しいと思っているわけではない」
ということ。



僕なんかは、オーダースーツや靴、ネクタイ、シャツ、鞄、
時計などはすこぶる大好物ですが、1着2万円も払えば
スーツが買える時代に、その何十倍ものお金を払って
買うなんてバカじゃないのと思う人もいるわけです。

つまり、価値は「主観的なもの」ってこと。

これを踏まえると、よく「この人とは価値観が合う」
なんて言う人がいますが、これは現実的には
あり得ないことがわかる。

だって、そうでしょ?

「主観が合う」って意味わからないじゃないですか。

言葉を丁寧に扱うなら、「価値観が“部分的”に合う」が
正しい。

まあなんにせよ、僕らが忘れてはいけないことは
「価値は主観的なもの」という点です。

「世界の中心は私」の行き着く先・・・


世界の中心で愛をさけばなくても、世界の中心はあなたです。

それは、紛れもない事実。

でも同様に、世界に存在している誰しもが皆「世界の中心」なのです。

「そんなの当たり前じゃん」

こう思います?

でもさ、普段何気なくこんなこと思ってませんか?

「あの人とは価値観が合わない」って。

先程、価値は主観的なものだとお伝えしました。

故に、価値観が合わないのは当たり前なのです。

当たり前なのですが、僕らは自分の世界を絶対視する
生き物ですから、無意識的に他の世界(相手の世界)を
排他してしまう。

これが行き着くと「無関心」になる。

「別にいいんじゃない、私には関係ないし」ってね。

ただ、人間1人で生きているわけじゃないですよね。

僕らは、他者との関係性があって生きているのですから、
「関係ないし」は他者への否定であり、これは裏を返せば、
自分への否定とも言える。

今回は、「関係性」の話はお伝えしたい趣旨ではないので
この辺で終わらせますが、ここでお伝えしたいのはそういうこと。

憧れという「きっかけ」


そんな、究極的には絶対にわかり合えない人間同士なのですが、
その絶望を乗り越え、相手に興味・関心を抱くことで面白い事実を
発見できます。

どんな発見かと言いますと、、、



僕のスーツ好きの「きっかけ」は007のジェームズ・ボンドです。

純ジャパの僕が英国諜報員に憧れを頂いている時点で
ドリームボーイと言われても反論はできませんが、
ショーン・コネリーにせよ、ロジャー・ムーアにせよ、
ピアース・ブロスナンにせよ、ダニエル・クレイグにせよ、
僕の中には彼らに対する「憧れ」があったわけです。

故の、スーツ好き。

(とは言え、好きなのはイギリススーツではなく、
 イタリアスーツですけどね)

これは、ジェームズ・ボンドの世界観(価値観)が、
僕の中に新たな価値を創発したとも言える。

・・・ほら、ジャームズ・ボンドの命(価値観)に価値があったじゃない。


みんな「自分の価値は何だろう?」と悩みます。

でもね、



・あなたの価値はあなたが決めることではなく、
 他者が決めることなのです。



なぜなら、価値は主観的なものだから。

あなたの価値を、あなたが考えたところで意味はない。

(・・・なくはないかもしれないけど、そんなことを
 考える暇があるなら、他に向けた方が有用ですよってこと)

あなたの価値は、あなたと関係がある人が決めること。

そして、あなたの存在自体が価値だと感じている人が
この世界には必ずいます。

・・・家族です。

既にいない家族もいるかもしれません。

一緒に暮らしていない家族もいるかもしれません。

血がつながっていない家族もいるかもしれません。

色んな家族がいるでしょう。

でも、あなたがいてくれるだけで価値だと思う人がいる。

「私にはそんな家族はいない」

もしこんなことを思うなら、逆で考えればいいんですよ。

あなたにとって、存在するだけで価値だと思う人いませんか?

ね?

つまり



「ほらね君には富が溢れている」(椎名林檎)



価値は命に従って付いている、なのです。



ここまでお読み頂きありがとうございました。

山本

コメント

  • こんばんは

    たまたまみつけまして。
    ありあまる富
    本当にいい曲ですよね。
    すべての事に賛同します。
    価値、見出せないような気がしますが、読んで少し答えがでそうです。
    ありがとうございました。


  • Re: こんばんは

    >>1

    たまたまさん

    こんばんは、山本です。

    コメントありがとうございますー。

    僕は『ありあまる富』を今でも定期的に聞いています。

    毎日数えることもできないほどの新曲がリリースされる中、そのほとんどが生まれたことにも気づかれずに消える中、何年もの間、人々の心の中に残り続ける曲ってのは、やっぱり僕らの心の奥深くに突き刺さる「何か」があるのでしょうね。

    今回の記事が、たまたまでもたまたまさんの何かしらのきっかけになれたのなら嬉しい限りです。

    それでは、コメントありがございました!

    山本



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