透明人間、、、そう呼ばれてた。
こんにちは、山本です。
もうすぐ3歳になる子供がいる友人と子供の教育について何気ない会話をしていたとき、LINEによるいじめ問題の話題になりました。
彼は、「LINEいじめが深刻化」なんてニュースを見る度に、娘の可能性を信じる程に、社会が抱える闇が他人事だとは思えないと言っていました。
ただ、その友人は娘の将来(娘が属するであろう社会)に暗澹な印象を持っている感じではありません。
なぜそう思うかって?
それは、彼がこんなことを語っていたから。
「俺らの時代だっていじめはあった。
だから、きっと娘が学校に入る頃にだっていじめはあると思う。
もちろん、いじめなんてない方がいいに決まっているけれど。。。
ただ娘にはこれだけは伝えたい。
『絶対に“無視”だけはするな!』と。
無視は、相手の存在を否定することだからね。」
僕らはつい嫌われることばかりを気にしてしまうけど、無視されるより嫌われる方がまだマシかもしれないね。
だって嫌われるは、嫌われる人として、相手の中に存在しているのだから。
嫌われるのを過度に怖がり、何もしない、何も言わない。
それはいつしか、存在の喪失に繋がるのかも。。。
「なんで?」
逆で考えれば簡単ですよ。
例えば、あなたが羨ましい、もしくは、憧れる人を思い浮かべてみて下さい。
・・・思い浮かべました?
当たり前ですが、その人は、絶対に、何かをしてるし、何かを言っている人ですよね?
だから、あなたの中に羨望の存在として存在している。
何も言わない、何もしない人だったら、あなたの憧れランキングのトップに食い込むことはないわけですよ。
そう思いません?
「何をしたいのかわからない」
は、大なり小なり誰しもが持つ悩みだとは思いますが、仮に「やりたいことなんてない」と開き直ると次の行動が見えたりするもんです。
「何をしたいのかわからない」は、やらない言い訳にしている場合がほとんどだからね。
僕らは、今この場に「存在」しているわけですから、何かを言って、何かをするべきなのです。
その結果が、10人に嫌われようが、100人に嫌われようがいいじゃない。
無視よりは。
それに、例え1000人に嫌われようが、たった1人でも存在を認めてくれる人が現れたとしたら、それだけで人は人として生きていける。
それが、「人は社会的な動物である」と言われている所以なんじゃないかな。
あなたはどう思います?
ここまでありがとうございました。
山本
追伸
この歌が売れた理由も、なんとなくわかりますよね。
『君の名は希望』の歌詞はこちら