自分の中のヒーロー
「へーんしん!トウッ!!!」
と空高くジャンプしている男の子。
「キック!ヤァ!エイっ!!」
僕には見えない敵が彼の目の前にはいる。
戦隊ごっこでしょうか?
ランニング帰りの近所の公園。
そこには、今を全力で生きる光景がありました。
おはようございます。山本です。
あなたは小さい頃どんな遊びをしてましたか?
まー子供の遊びなんて無限にあるとは思いますが、
先程の子供がしていた「ごっこ遊び」は、あなたも
一度はやりましたよね?
夢中のヒーロー、ヒロインに成る。
「成れたらいいなあ・・・」じゃなくて、成っている。
そこには恥ずかしさも怖さも何もない。
世界は自分(ヒーロー/ヒロイン)を中心に回っている。
ヒーローに対する劣等感
「自分を変えたい」
とあなたも一度は考えたことあるとは思いますが、
「変えたい」ってことは、「変えられない」という
今があるわけですが、
ここでは、「変わる/変わらない」って議論は
置いといて、「なぜ?変わりたいと思うのか?」
ってことを考えてみたいと思います。
と言いつつ、先に結論をお伝えしてしまいますが、
「変わりたい」と思う根源には「劣等感」があると
僕は考えています。
誰に対しての?
自分の中にいるヒーローに対してです。
2種類のヒーロー
便宜上、ヒーローを2種類に分けたいと思います。
- 自分自身がヒーロー
- 自分が憧れるヒーロー
「変わりたい」と思う根源には「劣等感」があると
お伝えしましたが、前者に対する劣等感は頑張る
モチベになると思いますが、後者に対する劣等感は
卑屈さを発生させます。
イチローとかならまだいいんですよ、ある意味
別格感があるから。
でも日常で出会うヒーロー、言い方を変えれば、
あなたが羨む人生を歩んでいる人。
こういう人と出会っちゃうと、自分の無能感に
打ち拉がれ大抵は卑屈な世界に突入してしまう。
「彼は頭が良いから、、、
家が金持ちだから、、、
容姿がいいから、、、
仕事ができるから、、、
それに比べて俺は・・・」
ってね。
- 自分自身がヒーロー
- 自分が憧れるヒーロー
先程もお伝えしましたが、前者に対する「変わりたい」
ならいいと思うのです。モチベに繋がるから。
でも後者に対する「変わりたい」は僕らを
苦しめるだけなんだよね。
だって僕らは「自分が憧れるヒーロー」には
「成れない」のだから。
「飛ばねぇ豚はただの豚だ」
とポルコはジーナに言ったけれど、はっきりと
言わせていただければ・・・
豚は豚です。
単に、「飛んだ豚」がいるのか、「飛ばなかった豚」が
いるのかだけのこと。
大人になるにつれ飛ぶのが怖くなる気持ちは凄くわかります。
僕は社会に出て11年間怖くて飛べませんでした。
自分には飛ぶ力がないと思ってしまう気持ちも凄くわかります。
僕は専門的な知識も技術も何もありません。
でも飛んでみないことには何も始まらないし、それに
「キック!ヤァ!エイっ!!」
って男の子は飛んでましたよ。
僕らも出来る・・・よね?
それに、きっとヒーローは「変わって」成るものでは
ないのでしょう。
ここまでありがとうございました。
また明日。
山本