トラウマを消すってどういうこと?

「なんであんたはいつもお母さんを困らせることばかりするの!
 お母さんへの挑戦なの!?いい加減にしてほしいわ!!!」

駅のホームで一人の男の子がお母さんに怒鳴られていた。

平日の夕方、帰宅ラッシュが始まりそうな雰囲気の中、
ヒステリックに叫ぶ母親の声を聞いて僕はドキドキしていた。

僕も似たような体験をしたことがあるからだ。



年2回、正月とお盆は父方の田舎がある栃木に帰省していた。

いつもとは違う環境で、二泊三日テンションは上がりっ放しだ。

夜明け前、カブトムシを採りに山へ入り、
朝は鶏小屋から卵をとり、昼まで夢中でトンボを捕まえ、
午後はキノコ採集、夜は大人に怒られるまで枕なげ。

東京ではできない遊びを思いっきり楽しんだ。

ただ楽しい時間はあっという間、皆に別れを告げて東京に戻る。



帰省シーズン真っ只中、浅草行きの特急電車内は人でごった返していた。

僕は父親と2人で電車に乗り込んだのだけど、
周りは知らない人だらけで怖かった。

僕は父親を見失わないよう0m後ろを離れなかった。



途中駅で目の前の人が下車したのを見て父親が「ここに座ってろ」と言った。

そして、どこかに行こうとする。

他に空いてる席がないか探しに行こうとしたのだ。

僕は一人になるのが怖くて怖くして、「座ってろ」と言われた席にはつかず
父親の後を付けた。

僕が背後にいることに気づいた父親は突然怒鳴りだした。

「座ってろって言っただろ!!!」

乱暴に腕をつかまれ引きずられるままにその席に戻ったのだが、
既に違う人が座っていた。

それを見た父親は僕の頭を思いっきり殴り
「なんで言うことを聞かなかったんだ!!」と再度怒鳴りつけた。

その光景を見た他の人が不憫に思ったのか僕に席を譲ってくれた。

父親はその場を離れまた席を探しにいった。



僕は、殴られた痛みなのか、父親への恐怖なのか、
周りからの視線に対する羞恥なのかはわからないけど、
ただただ震えながら涙があふれるのをこらえていた。



僕の親父は酒癖が悪い。

普段は大人しい人なのだが、酒が入ると人が変わる。

そんな親父の言動だった。

僕がお酒を飲まない理由の根底には多分この経験があるからだと思う。

30年近く経った今でも覚えているくらいだから。

多分こういうのを「トラウマ」と言うのだと思う。



少し前の話だが、とあるヒーラーの人と出会った。

その業界では有名な人みたいなのだけど、
そのヒーラーが一人の女性に対して

「あなたのトラウマを取り去ってあげます。
 トラウマが無くなれば人生が変わりますから」

と言った。

そして、台本があるのか?と疑わずにはいられないタイミングで、
同じ場にいたヒーリング体験者の一人が

「私もトラウマを忘れることができた。ほんとにいい!
 だって人生が変わったってすごく実感できるから!!」

とピンク色の声で叫んでいた。



・・・・・僕の頭は疑問符だらけだった。

「トラウマって取り去れるものなのか?」

「取り去るってことは記憶を消すってことなのか??」

「そもそも記憶(トラウマ)を消せたら人生が変わるのか???」



悪意からなのか、善意からなのかはわからないが、
トラウマを取り去ると言ったヒーラーが残念なのは、
人を変えられると勘違いしているところだ。

それはきっと、自分は有能だという思いが起因しているのだと思う。

勘違いとは怖いものだ。

「トラウマを取り去ります」とドヤ顔120%で言えてしまうのだから。



だた、これは何もこのヒーラーが特別残念という話ではない。

「人を変えることはできない」とどんなに自覚していても、
ふと気づくと相手を変えようとしている自分がいることに気づく。

人を変えるは、翻れば、相手は無知であると考えているということ。



ちがう、相手が無知なんじゃなく、自分が無知なのだ。



人は自分を棚上げするのが上手い。

自己の不満・不安を外が解決してくれると願っている。

だってその方が楽だから。

こんなことを言うと、
「自分は無知だからこそ、他の有能な誰かの力を借りて解決したい」
こう思うことが間違いなの?と言われそうだが、
自分を棚上げすることを深く突き詰めれば、その多くは

「自分は有能であるはずなのに今は有能だとは思えない、
 だから誰かに助けてもらおう」

なのだ。



ちがう、自分はそもそも無知で、これからも無知なのだ。



そして、自分を有能だと勘違いすればするほど、依存の構造が現れる。

有能じゃない自分になるのが怖いから誰か・何かに依存する。

ヒーラーに依存、医者に依存、権力者に依存、薬に依存、
タバコに依存、酒に依存、お金に依存、会社に依存、家族に依存、
友人に依存、異性に依存、知識に依存、ネットに依存、携帯に依存・・・



人は多かれ少なかれトラウマを持っている。

そして、そのトラウマは消せない事実なのだ。

電車で怒鳴られ殴られたのは事実であって、
誰も、いや神様だって消すことはできない。

僕にとってはトラウマだけど、酔っていた親父は
忘れているかもしれないし、同乗していた他の人からしても
単に父親に殴られた子がいたっていう事実でしかない。

単なる事実でしかないトラウマがいつしか依存を生み出す。

トラウマは単なる事実だ。

事実は過ぎ去るもの。

過ぎ去るものに意味なんてあるのだろうか?

意味のないものに依存する意味を考えたらバカらしくなる。



駅のホームで母親に怒鳴られていたあの男の子は、
昨日の事実をどう受け止めているのだろうか。

子供に依存した親に叱られる子供を、ただただ遠くから
見ることしかできなかった・・・。

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