一緒にいるのが当たり前

「嫁がうるさくてさあ」

友人の多くがこう言うようになってきた。

晩婚化と言われても30代も半ばになると、
友人の大半が既婚者となっていく。

先日も既婚者の友人と飲茶を食べに行ったのだが、
その時も「嫁がさあ」と散々愚痴をこぼしていた。

ただ「嫁がさあ」とは言いながらも、
時計を気にしながら嫁に帰りの時間をメールしている友人。

そんな光景を見たとき、僕が未だ独身の理由がわかった気がした。



「距離を置きたいんだけど」

13年付き合った彼女から、なんの前触れもなく電話でこう言われた。

土曜日はいつも、夕方に習い事がある彼女のタイムリミットまで
一緒にランチを楽しんだり、映画を観るなどをしていた。

その日も、西荻窪にある洋食屋でハンバーグ定食を食べ、
その後、2月の澄んだ寒空を見ながらドライブをし、
予定の時間になったのでいつも通り習い事に行く彼女を見送った。

隣にいるのが当たり前の彼女はいつもと変わらなかった。

そんな土曜日の夜にかかってきた電話だった。



彼女とはバイト先で知り合った。

3つ年上の彼女の第一印象は「猫」だ。

口数は少なく、馴れ合いの人間関係にはとけ込まない。

僕はそんな彼女に厳しさを感じながらも、同時に気品さも感じていた。

気になる存在だった。

彼女には彼氏がいるとか、好きな人がいるとかそんな情報はあったけど、
まずは話しかけてみるところから始めた。

週に1回バイトのシフトが重なる幸運も相まって、
ゆっくりとゆっくりと距離を縮め、出会って1年後ぐらいには
2人で遊べる距離まで近づいていた。



彼女には僕から告白をした。

OKの返事をもらえたときは本当に嬉しかった。ただ単に嬉しかった。

その喜んでいる僕を見て笑った彼女の顔を今でも覚えている。



その日から、数えきれなくらいの喧嘩をしたけれど、
そんなのを忘れさせてくれる充実した日々を過ごした。

国内、海外問わず色んなところに行った。

好奇心旺盛な彼女は僕なら決して行かないような場所へ誘ってくれた。

F1観戦、Perfumeのライブ、アイススケートショー、クリスマス礼拝・・・

ただ月日が経つにつれ、そんな充実した日々が当たり前だと思うようになった。

周りからは「後は結婚しかないな」と言われ、結婚に実感はなかったが
いずれはそうなるのだろうと勝手に思っていた。

これからも一緒にいるのが当たり前だと思っていたから。



・・・ただ、そう思うにつれて、次第に、彼女のことを聞かなくなった。

一緒が当たり前だと思うにつれて、次第に、彼女に自分のことも話さなくなった。



僕は彼女と一緒に歩んでいく努力を怠った。

わかった気になって彼女との衝突を避けたのだ。

「一緒にいるのが当たり前」とはそういうことだ。



友人が愚痴を言いながらも嫁にメールする姿を見て、
僕は自分の中の怠慢さと傲慢さに気づけた。

相手をわかった気になるなんて神様にでもなったつもりだったのか。

同じ方向を見ていたいなら、
同じ方向を見ていたい相手がいることを忘れてはいけない。



次はきちんと一緒に歩いていけるかな、、、
そんなことを考えていたら、小籠包の肉汁で口の中を火傷してしまった。

コメント


認証コード8050

コメントは管理者の承認後に表示されます。