営業は性悪説を育む

見返りを求めない奉仕ってあるのだろうか?

僕は見返りを求めている。

例えそこにお金が介在しなくても、情が介在しなくても、
どうしても「見返り」という思いが拭えない。

それを押し殺し善人面してきたけど、押し殺せば押し殺すほど
見返りを欲していることに気づく。



性善説という立場を取る方が楽なことはわかっている。

耳障りの良いことばかり言う人と悪態ばかりつく人がいれば、
多くは前者に好意を寄せるからだ。

僕は前者を演じていた。

それは、親父から受けたトラウマからなのか、いじめた経験、
いじめられた経験によるものなのかはわからないが、
性善説にすがって生きてきた。



営業現場に性善説は通用しない。

どんなに人間関係が良好で表面上は和やかムードでも、
裏では必ず相見積をとっている。

それが相手の仕事だから当たり前なのだけど、
性善説だけで生きているとショックを受ける。

こんな経験を幾度もすると、自然と注意深くなる。

相手の話をよく聴いたり、こまめに連絡を取ったり、
考えられるあらゆる提案を実施したり。

これは「あいつは俺を裏切る」という思いからだが、
裏を返せば、相手への興味関心とも言える。



営業を経験して人間に対して興味が持てるようになった。

人の話を聞けるようになったし、意見が異なる人を
排他することもしなくなった。

もちろん好き嫌いはあるが、
そんなことはどうでもよくなっている自分がいる。



そして、自分にある性悪説を認めてから人間関係も変わった。

一癖も二癖もあるが一緒にいて楽しい奴ら、会うたび緊張はするが
道を示してくれる人との出会い。

自分でも不思議だと感じる。



ただ一番重要なのは、

「常に、自分の中に悪がある」

と自覚して生きることができているということ。

子供の頃、祖父から「自分がやられて嫌なことを人にしてはいけないよ」
と言われた意味が、30代も半ばに差しかかってようやく理解できた。



性悪説は僕の中の規律です。

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