『風立ちぬ』から受け取った3つのメッセージ

こんにちは。
山本です。

スタジオジブリ最新作『風立ちぬ』を観ました。

風立ちぬ

人それぞれ色々な感想はあるかと思いますが、僕は素直に
「美しい映画だなあ」と思いました。

そして、

ジャンルを問わず、僕は「観てよかった」と思える映画の後には
必ず胸が少し苦しくなるのですが、『風立ちぬ』にも同様な感覚
がありました。

それは、映画が終わってしまったという切なさなのか、ストーリー
に入り込み過ぎた結果の感情移入なのか、はたまた、映画から
受け取るメッセージと自分の人生との相違からくる戸惑いなのかは、
正直なところわかりませんが、いつもこの感覚になるのです。

ただ「苦しい」って言っても、別に嫌な感じではないんですよ。

ん~例えて言うなら、恋愛のときの感覚と少し似てるかな?

恋愛には、喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも全部あるでしょ?

そして、その都度その都度、快・不快は問わず胸がドキドキと
苦しくなる。でもこの苦しみって嫌じゃないですよね?

これに近しい感覚かなあーって(余計わからないかな?笑)。

そんな感覚を抱いた『風立ちぬ』、今日は僕が『風立ちぬ』から
受け取った3つのメッセージをお伝えできればと考えております
ので、お付き合い下さいませ。



では早速ですが、3つのメッセージをお伝えします。それは、



「生きること、愛すること、そして、楽しむこと」



です。

冒頭でも言いましたが『風立ちぬ』を観て、好き嫌い、
合う合わないは当然あるかと思いますし、その結果、受け取る
メッセージなんかは人それぞれなわけです。

ただ何の思し召しかはわかりませんが、僕はこの3つの
メッセージを受け取ってしまった。

それは、宮崎駿が描いたストーリーと、僕のストーリー(人生)の
触れた箇所が「生きること、愛すること、そして、楽しむこと」
だったからなのでしょう。


【生きること】



正確には覚えていないけれど、主人公の堀越二郎が妹の堀越加代に
語った

「僕らは1日1日を大切に生きている」

という台詞。

妻である菜穂子の病気(結核)が重いことを知りつつも、自分の夢に
まっすぐに生きる二郎。そして、それを応援する菜穂子。

これだけを聞くと単なる純愛ストーリーに聞こえるかもしれませんが、
この二人のストーリーには、その辺にあるありきたりな御涙頂戴系とは
違うものがあります。



それは、今を懸命に生きる美しさです。



正直言って、数ヶ月前までの僕ならこの【生きること】に関して、
表面的なことしか言えなかったと思います。

だって、それまで自分で何かを決めた実感がなかったから。

皆が行くからとなんとなーく高校に行き、皆が行くからとなんとなーく
大学に行き、皆がそうするからとなんとなーく就職し、ここに居場所は
ないと思慮浅い考えでなんとなーく転職を繰り返す。そこに自分の意志は
なかったのです。

でも今は。

朝起きるもの、夜寝るのも、ご飯を食べるのも、運動するのも、
出かけるのも、買い物するもの、こうやって手紙を書くことも、
どんな些細なことも全て自分で決めて生きています。

誰に言われるでもなく、自分自身で「こうあるべき」と思うことを
実行しています。

もちろん、たまに惰性にかまけてしまうこともあるけれど、
それでも僕なりに今を懸命に生きることを心がけていますし、
そういった日々の積み重ねが生きているという実感を日に日に
強くしていくのがわかります。

もちろん、今までの習慣に流された方が楽なことも知っています。
ただ、そこには僕の望む人生がないことも知っているわけです。

生きることは、苦しく、悲しいことも多いと思うけど、でも逆に
苦難のない人生ってどうなんだろう?と今の僕は思います。

有り体な言い方で恐縮ですが、苦しさがあるから楽しさを、
悲しさがあるから嬉しさを知れるのですからね。

そんな当たり前のことを、当たり前に気づかせてくれた『風立ちぬ』。
僕が受け取った一つ目のメッセージです。

風立ちぬ


【愛すること】



『風立ちぬ』の二郎と菜穂子の恋愛を、

「こんなの映画の中だけだよ」

と思われる方も多いはず。でも同時に、こういった恋愛に
どこか憧れてしまう気持ちもあるかと思うのです。

【愛すること】を一言で言うのは無理ですが、きっと僕らの中には
時代も歴史も超えるような普遍的な「愛」というものがあるはず
なんですよね。

だから感情が動く。

でなきゃ、映画をフィクションだと知りつつも、感動し涙を流す
理由が説明できません。

僕らは自分でも気づかないふかーいところで、普遍的な愛を
求めているのだと思います。



ただ、この現代社会で【愛すること】を普遍的な形で実行するのは
難しい。何にでも点数をつけたがる社会、人を機能としてみる社会、
間違いを許さない社会、こんな社会では【愛すること】自体見えませんよ。

でも難しいからと言って最初から諦めてしまっては何も始まりませんよね。

ほんのちょっとでもいい、それは相手を信頼するでも、受け入れるでも、
大切に想うでも、どういう表現になるのかはわかりませんが、
僕ら一人一人が「愛」と真剣に取り組むことは、何か大きな変化の
最初の一歩になると僕は思うのです。

この一歩があなたの明日をドラスティックに変えてくれるかは
わかりません。でも1年後、2年後には劇的な変化になっている
かもしれません。

その可能性を信じて、【愛すること】をあなたなりに進めて
行くことを考えてみてはいかがでしょうか。



普遍的な愛への憧れ。『風立ちぬ』から受け取った二つ目の
メッセージです。

風立ちぬ


【楽しむこと】



『風立ちぬ』で僕が一番心に残ったのが、ラストシーンでカプローニさんが
二郎に言った台詞。



「美味しいワインがあるんだ」



映画を観てない人にはなんのこっちゃわからないとは思いますが、最後の
最後でカプローニさんが二郎に「君は生きなくてはいけない」的なことを
言った後に言う台詞なんですが、この台詞から【楽しむこと】を最後の
メッセージとして受け取りました。



僕は最近ある人から「山本くんはちょっと難しく考えすぎだから、
もっとゆるーくしてみたら」と言われました。

この一言に僕は救われた気がしました。「ありのままでもいいんだ」と。

確かに最近は、自分が大好きなことでも「なぜ?」とか「どうして?」
と何彼につけ問いを立てて考え過ぎなところがありましたから。

もちろん、考えることは絶対に必要だと思うんですけど、考えるのは
その時じゃなくてもいいわけです。楽しいときは思いっきり楽しむ。
考えるのはその後で。

だって大好きな人と食事しているのに、あれこれ難しく考えていたら
せっかくの食事も台無しですからね。眉間に皺を寄せながら食事する人
とは楽しい一時は過ごせませんよね?(苦笑)



でも【楽しむこと】に関して、1点注意しなくてはいけないことがあります。

それは、【楽しむこと】の前提には【生きること】【愛すること】が
あるということ。

懸命に生きることもせず、人を愛することもしないのに、ただ単に楽しむ、
これはちょっと違う。んーなんというか金持ちの世間を知らない二代目的な
感じはやっぱり何かしらが違うわけじゃないですか。

そこには、僕らが目指すべき美しさはない。

やっぱり美しい人はすべからく【生きること】【愛すること】をしつつ
【楽しむこと】も忘れない。だからこそ、美しいのではないかと僕は思います。



二郎と菜穂子、そして『風立ちぬ』に登場する全ての人物は皆美しいです。

映画の中の話かもしれない。

時代も違うかもしれない。

でも、

僕らは彼らのような美しい生き方をしなければいけない。



これが、『風立ちぬ』から受け取った三つ目のメッセージです。

風立ちぬ



さて、ここまでがお伝えしたかった3つのメッセージです。

何度も言うようですが、受け取るメッセージ(感想)は人それぞれ
です(もちろん、観る観ないも人それぞれですしね)。

ただ美しく生きるには



「生きること、愛すること、そして、楽しむこと」



が必要ですので、『風立ちぬ』を楽しみながら観ることも美しい
生き方の一つかもしれませんね。

『風立ちぬ』

また胸は苦しくなると思うけど、もう一度映画館に行って観たいと
思える作品でした。

今日の内容は以上です。



気づけば今日から8月。

学生達は夏休みまっただ中。公園などで元気に遊ぶ子供達を見ると
自然と笑顔になってしまう今日この頃。

僕らも子供達に負けじと楽しみながら美しく生きていきたいですね!

それではここまで読んでいただきありがとうございました。

また次回。

山本



追伸
数日前Twitterでこんな呟きをしました。

「嘘をつかないこと。
 例えそれが些細な嘘だとしても、嘘をつくことは自信喪失に繋がるから。
 だって嘘をついたという過去は変えられないでしょ?
 どうしても本当のことが言えないときは、何も言わなければいいだけ。」

今日お伝えした内容と絡めてご理解してもらえると嬉しいです。

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