とある額縁職人
ボクは友達が少ない。
携帯を1週間ほったらかしにしても問題はない。
連絡があったとしても携帯会社からの料金通知メールくらいだから。
「触るものみな傷つける奴」
「何考えてるかわからない」
と言われることが多かった学生時代を振り返ると、そりゃ友達がいなくても不思議はないよね、と今のボクは思う。
ただこんなボクにも少なからず友人はいる。
(もちろん友人の定義は人それぞれなのだが、、、)
その内の一人に額縁職人という希有な職業についた友人がいる。
彼はボクとは正反対だ。
社交性があり、男性的で、他人を信頼することを素直にできるナイスガイだ。
そんな彼は今、閉ざされた額縁市場から飛び出そうとしている。
「てやんでー、俺は今まで俺がやってきたやり方でやり続けるぜ。それをわからない奴はわからなくていいんだ」
こういった考え方が通じる世界も確かにある(と思う)。
ボクにはそれがその世界にとって善いのか悪いのかはわからない。
「伝統か革新か」
スーツ発祥の地では存続を命題として、今でもこの葛藤を続けている。
伝統を踏まえ、それを乗り越えた人も数多くいる。
「型をしっかり覚えた後に、『型破り』になれる」
と歌舞伎界に新しい風を搔き起こし続けた男(中村勘三郎)は言った。
「ジリ貧になっていくと思って」
と習字の墨に色を付け新しい市場を創出し続けている鈴鹿墨の職人は言った。
果たしてそれが既存世界にとって善いことなのか、悪いことなのか。
それは歴史が教えてくれるのかもしれない。
ただこれらはなにも職人の世界に限ったことではない。
職人の世界と同様に変化を急務としなければならない世界がある。
ジョブレスリカバリーが遠い異国の話ではなく、現実問題としてある昨今、今の世界に安住するという発想がどれほど怖いものかは少し考えればわかることである。
突然だが、生命の進化は「突然変異」と「自然選択」の繰り返しであるという説がある。
これは、なんらかの理由で環境が変化した場合に、既存種ではその環境に適応できず絶滅、突然変異が“たまたま”適応(自然選択)していくという説だが、ここから学ぶべきことは
変化しないと淘汰される
ということである。
生命進化のプロセスにおいては“たまたま”であるが、僕らの生活レベルで言えばそれは意志で選択できる。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)
環境の変化に適応できた種が生き残るというのは歴史が教えてくれている。
僕らは過去(歴史)を軽視しがちである。
この考えを少しずつ見直すだけで、何かが変わると思わないだろうか?
しかし、変化は恐いもの。
「変化は恐れではない」とボクは考えているけど、「未知」に恐れはついてくるものだ。
聞いたことはないけれど、額縁職人であるボクの友人にもきっとあると思う。
ただ彼はその恐れとも上手に付き合っていくのだろう。
なぜそう思えるのか?
変化のまず一歩として、変化している人を実際に見ることは参考になるとボクは考える。
2013年6月14日
山本 和広