降谷 建志

自分に自信が持てない時。

自分のユニーク性を発見できない時。

自分以外を羨んでしまう時。

素直にその心境にしたがってみてもよいと思う。



自らの不足感を他から得ようとしてしまっても、

利己主義的だと自らを恥じてしまっても、

自らの立ち位置がわからなく迷子になってしまっても、

正直に流されてみてもよいと思う。



だって迷いがない人間なんていないのだから。



そんな時、自分が憧れる人を別確度からみる努力をしてみよう。
そこに自分というものが発見できるヒントがあるかもしれない。



人の興味なんて移り変わるもの。

多くから羨まれる人も然りである。



ただそんな彼らが他の多くと違う点は、彼らの生き方が表層的には変遷しているように
見えるかもしれないが、決してその軸はぶれていない点である。



自分自身の興味の変遷をたどると、その源泉に気付く時がくるかもしれない。

それが明日かもしれないし、明後日かもしれない。

1年後かもしれないし、10年後かもしれない。

もしかしたら死ぬまで気づかないかもしれない。

でもしょうがない。

それが自分の人生なのだから。



ただ憧れの存在があるということは、ニヒリズムに生きている訳ではない訳で。

だったら例え死ぬまで今の現状が変わらないとしても、
前を向いて歩いていくことに何か意味があるのではないか?



彼もこんなことを言っている。

ここには居場所なんてないって 本当は皆ほら使い捨て

そんな感覚 抱くよかstand up 一人一人が丸四角三角

滑稽でもそれもいいさって OK何処へでもfree styleで

思い描いて意外な構図 誰も真似出来ない未来予想図

それぞれが持つダイヤモンド 一つも同じではないだろ?

そう胸張って舵取り歩く これが夢さって足取り軽く

~ Dragon Ash 「Walk with Dreams」から ~

2012年9月26日
山本 和広

降谷 建志

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