椎名林檎・東京事変と二項対立
2012年2月15日 横浜アリーナ
東京事変live tour 2012 Domestique Bon Voyage
非凡なる者を経験する1日となりました。
(タワーレコードオンラインページから写真転載 http://tower.jp/article/news/2012/01/11/n16)
こんにちは。
山本です。
ここ数ヶ月、舞台、ライブ、ショーと様々なエンターテイメントを観る機会に恵まれております。そんな中でも東京事変のラストライブを経験する事ができたのは幸運でした。
東京事変は解散を発表していますし、オークションサイトでは最終日(2012年2月29日)武道館でのチケットが5~8万円前後で取り引きされている状況を知れば、観れただけでも幸運といえると思います。
ただ僕がここでいう“幸運”とは、椎名林檎という非凡なる者と同じ環境と時間を共有できたことにより、ある事柄の再認識を実感レベルで行えた、ということを意味します。
多くの人を魅了する力がある人。
僕らはそんな人を天才とかカリスマとか言ったりしますが、呼び方はどうであれ、椎名林檎という非凡なる者が本日の日常考察の元ネタです。
ではでは、早速いってみましょう!
1.静と動
椎名林檎を単純に「かっこいい!」と思いました。
椎名林檎を知ったのは「歌舞伎町の女王」をリリースした頃ですかね。べたに「幸福論」とか「丸の内サディスティック」もよく聞いていましたし。椎名林檎は僕にとって“好きな音楽家の一人”であることは間違いありません。
※以前に「ありあまる富」についても考察しました。→椎名林檎から学ぶ群集心理
ただあくまで“好きな音楽家の一人”であってそれ以上ではなかった・・・と、東京事変ラストライブにて椎名林檎を生で経験した後に感じます。
例えば、あなたが僕に
「椎名林檎ってどう思う?」
と質問したとしましょう。その答えとして
(ライブ前)
「え~好きだよ!歌詞がいいよね。あんな歌詞を書けるって事がやっぱり天才なんだろうね。どういう発想を持ってるかが気になる一人だよ。声も唯一無二だしさ。他と違うことをしよう、というのではなく、彼女が普通に表現する事が普通ではないアーティスト性を感じるんだよね~」
(ライブ後)
「めちゃめちゃかっこいいと思う。」
って感じになったと思います。つまりライブ前はあくまで椎名林檎という存在をフィルターを通して認識していて、それゆえ、何かそれらしいことばかりを並べて、「俺は椎名林檎が好きなんだよ!」と他者のみならず自分自身をも納得させようとしたと思います。
でもよく考えれば当たり前かもしれません。
だって、それまで僕が認識していた椎名林檎はCD音源やライブ映像、インタビュー記事やメディア映像を通しての彼女だったのですから。
そんな状況とは違いライブという環境は
- 生歌・生声(マイク、スピーカーという機器がどうしても介在してしまいますが・・・)
- ステージ上での立ち振る舞い
- 場を作り出し、常に更新している空間の共有
という椎名林檎の存在をダイナミックに体験できる場です。CD音源などのスタティックな椎名林檎とは比べものにならない躍動があります。
なのでライブ後の回答がシンプルになった理由は、あれこれ好きな理由を説明する必要がなく、単純に「かっこいい!」とだけ伝えればいいと思えたからです。
※文字でお伝えすると細かいニュアンスが伝わらないと思いますが、音として重厚感があり、例えて言うなら中尾彬的な感じで「かっこいいねぇ~」ですかね?(もっと伝わないか?笑)
椎名林檎という「動」を、僕山本の「動」にてダイナミックに体験することは、CDなど「静」を体験するのとは雲泥の差があると実感することができた。これが今回の東京事変のラストライブを観ての大きな収穫です。
でもこれって日常よくある事だとも同時に気付きました。だってあなたにもこんなことってよくありますよね?
「この人ってこんな人だったんだ・・・」
人から聞いた静的な情報はいかんせん余計なものが付加します。例えば、他人の主観とか(もちろん自身の主観もですが)。そうして僕らは出会う前から勝手にその相手に対しての人物像を構築してしまい、実際に会ったとしても壁を作り、相対的な態度をとってしまいがちになるのです。
僕がここであなたに強く言いたい事は、僕ら人間は常にダイナミックな生き物なのですから、ダイナミックな対象はダイナミックに理解するのが、より他者理解に必要な態度だと言うことです。
つまり世の中の事象に対して、できるだけ自分で体験し、自分の経験としてアウトプットする事が自己成長には欠かせない事だと、今の僕は考えています。
2.心と体
病は気から
とはよく言ったもので、気が弱っている時はなんとなく身体の調子もよくないというのはあなたも否定できないことだと思います。
ただ最近僕が思うのは逆もよくあるな、ということです。
例えば、筋肉痛で体中痛いのに、
「よっしゃー今日も張り切って1日働くぞー!」
とはならないと思います。だって立ったり座ったりが辛い状況で、仕事に専念なんてできませんよね?
これってすごく自然な考えだと思うのですが、僕らは実生活に於いてこのことを忘れがちです。つまり、
- 心と体は別物
と考えながら生きてしまうのです。だって、
- 生命保険に入っているくせに、原料に何が使われているか分からないようなファストフードばかり食べる。
- 暖房など節約するくせに、喫煙者である。
- もてたいが為にダイエットするくせに、勉強をしない。
- 仕事が捗らない(=よいアウトプットがでない)から、終電まで働き、果ては土日も出社する。
- 人間関係にストレスがあるのに、他者にたいして侮蔑な態度をとってしまう。
こんな経験あなたにも一度や二度はありません?
(僕は当たり前にあります。苦笑)
フィジカルとメンタルは別々に存在しているのではなく、フィジカルという土台があって、メンタルも良好に保てるのです。
健全な魂は健全な肉体に宿る。
なんて言葉をどっかで聞いたことあるのですが、正にその通りです。
もしあなたが仕事に於いて「良いアイデアが出ない」という状況があったとすれば、運動をしてみてください。ストレッチだけでも十分だと思います。体を柔らかくすると、脳も少しは柔らかくなるはずです。
よくアメリカとかの富豪が毎朝ジョギングなどしているということ聞いたことあるかもしれませんが、それも上の話に関係があると僕は思います。
で、僕がこのパラグラフであなたに何を伝えたいかというと、
- 思考のみのアウトプットと、体験・経験を通じたアウトプットには雲泥の差がある
ということです。
1項目で、「椎名林檎をどう思う?」という質問の例を取り上げましたが、正にそれです。
頭で考えた結果のアウトプットももちろん大事ですが、やっぱりそれだとどうしても上っ面感が感じられるんですよね。
言葉に厚みがない
とでもいいましょうか。最近ちょっと話題になった芥川賞。選考委員であった石原慎太郎が「駄作のオンパレード」的な発言をしたみたいですが、彼が言いたかったことも多分僕と同じで、その作品(=言葉)に著者の人生が感じられないという評価からの発言だったのではないでしょうか。
今はインターネットがあるおかげで、家にいながら世界中の人・情報にアクセス可能です。つまり擬似体験が容易という事です。もちろんこれはこれで僕ら人間の進化を大いに前進させてくれるツールですので否定はしませんが、それだけで外の世界を知ったかぶりしてはいけません。
電車の中でスマートフォン片手に経済ニュースを読んでも、あくまで知識のみのアウトプットしか出てきません。同じ電車に乗るでも、広告に目を移したり、隣に立っている人、前に座っている人を観察するというインプットをすることにより、幅広いアウトプットが得られるのです。
同じ経済というカテゴリーのアウトプットをする場合でも、一見経済とは全く関連しないような情報にこそ、あなたにしか出せないユニークなアウトプットの源泉となりえるのです。この事を忘れないでください。
椎名林檎のアウトプットの源泉は正直わかりません。ただ、彼女の言葉、音、態度には我々を魅了する実存を感じるアウトプットがあります。この実存を感じるアウトプットが出せるかが人生をより豊かに生きる1つのポイントだと僕は考えています。
そうは言っても僕ら凡人は「彼女には才能があるから」と、はなから自分とは住む世界が違うと思考の外へ追いやってしまいがちです。でもそこで一歩踏みとどまり、非凡な人を自らの思考の内に入れておく努力をしていきましょう。そうする事が少しでも良質なアウトプットを出す事に繋がると思いますし、同時に良質なインプットを得ようとする意識改革にもなります。
良質なアウトプットは、どれだけ良質なインプットがあるかが源泉ですからね。
以上、本日の日常考察でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
2012年2月24日
山本 和広
日常考察
- 考えるだけではダメ、体験することも同等に重要である。
追伸
今回の考察記事は椎名林檎のことばかり書いてしまいましたが、東京事変それ自体がめちゃめちゃかっこよかったです。