お洒落は誰の為にするものか?
こんにちは。
山本です。
先日友人の女性とご飯を食べていた時、「お洒落って誰の為にするもの?」的な会話になりました。
この女性は常に服装には気を配っている人で(僕が勝手にそう思っているだけだけど)、定期的に食事をする仲なのですが、同じ服を着ているところを見たことがありません。シーズン毎に新調しているのだと思います。
では実際に彼女は誰の為にお洒落をしているのでしょうか?
お洒落は男性だろうが女性だろうが、「自分自身を良く魅せたい」という意識の結果だと思います。
もてたい
ちやほやされたい
まー当たり前といえば当たり前です。あなたももてないよりもてた方がいいですよね?でも実際どうなんでしょうか?お洒落って自分の為だけにするものでしょうか?
ちょっと考えてみました。
例えば、お洒落をしていてももてない人っていませんか?
(お洒落の定義にもよりますが・・・)上質な素材の服を身に纏い、履き心地のよさそうなブランド物のシューズ、高そうな貴金属を装備しているのに、なぜか好印象が抱けない人って奴です。
例えて言うなら、ハイヒールモモコ。
あの人ってたしか「シャネル」ばっか身に纏ってますよね?
シャネルといえば、服に興味がない人でも名前くらいは知っている所謂高級ブランドです。
そんな高級ブランドを身に纏っていても、なぜか好感が持てない。
一体なぜか?
一言で言えば・・・
知性が感じ取れない
からだと思います。「品がない」といっても良いかもしれません。ハイヒールモモコさんにしてみれば、「なんでお前なんかに“品がない”なんて言われなくちゃいけないんだよ!」となるかとは思うんですが、幼き頃からそう感じてしまっているので仕方ない。
やっぱりお洒落って自分さえよければいい、というものではないのだと、僕は思います。
では本日の主題に戻り「お洒落は誰の為にするものなのか?」を僕なりに考えると、、、
お洒落は相手の為にすべきである
という結論に帰結します。自分さえよければいいでは、お洒落とはいえません。高いブランド品だけを身につければお洒落とも言いません。
ハイヒールモモコさんの例でいえば、その環境に自分自身を合わせるという知性が僕には感じ取れないので、好感が持てないのだと思います。
その時、その場所にあった相手(若しくは環境)の為にお洒落はするものである。そしてお洒落には、知性が必要であり、そういった状態を「趣味がよい」と表現するのだと今の僕は考えています。
お洒落な人というのは総じて趣味がよいとも言えるのだから。
山本 和広