人の不幸は密の味
こんにちは。
山本です。
「人の不幸は密の味」というドラマが昔あったような気がしますが、僕らは他人の不幸を無意識的に注目してしまう傾向があります。
バラエティ番組のどっきり企画なんてまさにそうですよね。
結局は「あー僕じゃなくてよかった」という訳です。
僕らは多かれ少なかれこんな思いを抱いて生活しているのですが、社会ルールを受け入れるに従って、「他人の不幸って面白い。だって自分じゃないし」といったことを大きな声では言えなくなります。
そういった影響があるのかないのかはわかりませんが、不幸をも受け入れる器量があるということを自慢げに語る大人を社会では多く見かけます。
例えば恋愛に関して。
「相手の全てを受け入れるのが恋愛だよ」
なんてしたり顔で言っている男に限って、彼女が浮気をしたらそれを絶対に許さなかったりするのです。
はたしてこれはどういった心理なのでしょうか。
僕的に解釈すると、
- 自分の所有物が奪われた感覚
- 他人事と自分事は全くの別ごと(まー要するに自分勝手ということ)
という事だと考えます。
イメージしやすいのでまた恋愛で例えてみますけど、結局その男にとって彼女は「所有物」という感覚が強いのだと思います。
もっと抽象的な言い方をすれば「利己心」が強い人ということです。他人から何かを奪ってまで自分の不足を埋めようとする(=幸せを得ようとする)人。
だから逆に奪われる(=彼女が浮気)ということは、自分の幸せが一つ失われるということになりますから、そりゃ人事じゃいられないわけです。
数分前まで「全てを受け入れるのが愛」なんて言っていても、実際に自分が浮気をされる立場になった途端、他人事じゃ済まされない。
こういう人は、他人の幸せも心から祝えない傾向が強いです。
ただこれは僕も含め多くの男性に言える事です。
例えば、男って元彼女はどこかでまだ自分のこと想っていてくれている、と勘違いしてません?
そんな元彼女から突然「結婚するの」とか「彼氏ができたの」とかいう現実を突きつけられると・・・・・なぜか動揺する。ショックを受けるわけです。
他人の元彼女に彼氏が出来る事と、自分の元彼女に彼氏が出来るという事は、一人の女性に新しい彼氏が出来た、という現象として同じ事なのですが、感情としては全く違うことなのです。
そう考えると、女性は男性と比較して未練を引きずらない傾向がありますので、利己心でいえば
- 男性 > 女性
と言えるのかもしれませんね。
結局は他者の幸せを祝福できない人というのは、全てのベクトルが自分という内向きに向いているのでしょう。つまりは、
- 自分に自信がない。
- 自分自身を信用していない。
ということです。だから他人から何かを「奪う」という低次な発想に繋がるのです。
ただここまで偉そうに講釈をたれてきたわけですが、もちろん僕にだって利己心はあります。ある出来事があってへこんだ時、冷静になって後から考えると「奪われた」という感覚を感じショックを受けていた、という事が多々あるからです。
そういう時、僕は必ず自分自身を内省するように努めます。
結局は自分自身を信頼できれば、自ずと他者も世界も信用・信頼できるようになると思うからです。
もしあなたの身近に、人の不幸話ばかりしている人がいたら、それは、
自分の持つもの(目に見えるもの、見えないもの問わず)を奪われたくないという感覚(=利己心)が強い人
と思ってもよいかもしれません。
人のふり見て我がふり直せ
じゃないですが、もしあなた自身に思い当たる節が少しでもあるのなら、まずはあなた自身を内省することをお勧めします。
具体的にはなんでもよいのですが、例えば自分の好きなこと、嫌いなことを紙に書き出してみる、っていうのも内省の1歩だと思います。でもその際は数を出してくださいね。「もう頭の中に何もない」って煙が出るくらいまで、考えて考えて考えて、出し尽くして、更に考えて考えて考えてみてください。
結構気持ち的に違ってきますよ。
山本 和広