大衆の反逆 ~1章 充満の事実~

大衆の反逆
著者:オルテガ・イ・ガセット
訳者:神吉 敬三
発行:筑摩書房
-大衆の反逆 目次-
■第1部 大衆の反逆
- 01章 充満の事実
- 02章 歴史的水準の向上
- 03章 時代の高さ
- 04章 生の増大
- 05章 一つの統計的事実
- 06章 大衆人解剖の第一段階
- 07章 高貴な生と凡俗な生-あるいは、努力と怠惰
- 08章 大衆はなぜすべてのことに干渉するのか、しかも彼らはなぜ暴力的にのみ干渉するのか
- 09章 原始性と技術
- 10章 原始性と歴史
- 11章 「慢心しきったお坊ちゃん」の時代
- 12章 「専門主義」の野蛮性
- 13章 最大の危険物=国家
■第2部 世界を支配しているのは誰か
- 14章 世界を支配しているのは誰か
- 15章 真の問題は何か
こんにちは。
山本です。
気づけば久しぶりの読書考察です。読書考察というサイト名のわりに読書考察の記事が少ないかな~とも思いつつ、「まーそんなに気にすることはないでしょ」と自分で自分に言い聞かせてみる今日この頃。花粉症(今はヒノキ)に悩まされつつも記事を書きたいと思いますので、一言一句逃さず読んでくれたらこれ幸い。
で、本日の読書考察対象は冒頭にある通り「大衆の反逆」でございます。著者はスペインの哲学者オルテガですが、本書はナチスのバイブルとしても読まれていたとのことです。そう考えると、ナチスが人々を熱狂の渦に巻き込んだ根源手法を、この大衆の反逆から学べるのかもしれません。もちろん、僕らは本書で学ぶ知識を悪しきことに応用するのではなく、世界を少しでもより善くするために活用していきましょうね。
ところで今回の大衆の反逆に関する読書考察はいつもと違い、1章毎に考察していきたいと思います。というのもこういった類の本を1回の記事で考察してしまうのはあまりにも乱暴、且つ無謀だと思いますし、そんな考察記事をあなたに読んでもらってもあまり意味がないのかな・・・と。だったら1章毎にあなたと共に理解を深めつつ、今の人生に役に立つ思考を育むようにしていきたいと思いましたので、こういった形態をとらせていただきました。
正直言ってしまえば、大衆の反逆1冊を1回の読書考察でまとめる自信が全くないというのも理由の一つなんですけどね(ごめんなさい 苦笑)。
それでは、大衆の反逆 ~1章 充満の事実~ いってみましょう。
1.要約
要約を誤解している人がたまにいるので簡単に説明させていただきます。要約とは決して文章を削る作業ではありません。要約を行うには3段階あるとイメージしてください。
- キーワードを抜き出す
- 構造を捉える
- 「キーワード」+「構造」を変えずに、ぎゅっと濃縮
これが要約の概要です。で、僕なりに大衆の反逆 1章を要約すると以下となります。
【1章 充満の事実 要約】
今日のヨーロッパ社会では、自らに多く高度な要求を課す「少数者」の場所を、自己完成の努力をしない「大衆」が占めている(充満の事実)。
社会には少数者を必要とする業務があるが、上記から、大衆が直接的支配権を駆使し、少数者を締め出し、社会的権力を掌握した事実がわかる。
2.自分は少数者であるか?大衆であるか?
オルテガは1章で、少数者と大衆は心理的事実で定義しうるものであり、社会階級による分類ではなく、人間の種類による分類である、と言っています。そして、少数者と大衆を、
人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。
- 第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、
- 第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。
(「1章 充満の事実」から一部抜粋)
このように定義しています。
さて、この定義をあなたの文脈に落とし込んだとき、あなたは少数者、大衆、どちらに自分自身を置きたいと思うでしょうか?
この1章を読むだけでも、オルテガが大衆に対して好意的にみていないことは明らかですが、それはそれ。1章はあくまで100年前のヨーロッパの事実を伝えているだけで、今のあなたがどちらを選ぼうともそれはそれです。
ただ、折角ですからあなたには是非とも少数者の道を選択し進んで欲しいと僕は思います。こんな風に言うと「僕(山本)は少数者ですから」って感じに聞こえたかもしれませんが、全くそんなことはなく、僕には大衆的要素がふんだんあることを告白しなくてはいけません。
というのもちょっと気を許すと動画共有サイトなどを見てしまい、怠惰に時間だけを浪費する時が結構あります。もちろん、有益な動画も多数あるので全てが無駄だとは思っていませんが、あきらかにやるべきことを後回しにしてまで見てしまうときがある。つまり、困難を避けて怠惰に生きている瞬間(大衆的な生き方)という訳です。
よく「モチベーションが続きません」的なことをあなたも聞いたことがあるかもしれませんが、モチベーションが続かない、ということは、それをやらなくても困らないこと、ということです。
- ビジネスを起こしたいけど、モチベーションが続かない。
- 夏までにあと5キロ痩せたいけど、モチベーションが続かない。
- 英語を話したいけど、モチベーションが続かない。
- 転職活動をしたいけど、モチベーションが続かない。
- 資格を取らなきゃいけないのだけど、モチベーションが続かない。
別の言い方をすれば、困難と義務から避け続ける生き方、ということです。他の考察記事でも書いていると思いますが、この日本という国はぼーっとしてても生きていけるんですよね。それなりに仕事があり、それなりにお金もあり、それなりに享楽もあり、それなりに幸せがある。それが日本の現状です。
そんな日本を「ぬるま湯」と表現した人を僕は知っています。
ぬるま湯って何時間でも入れますよね。最近では、本を読んだり、友達と話したり、ゲームをしたりする人も多いと聞きます。きっと楽しい時間なのでしょう。でも気をつけてくださいね。ぬるま湯に気持ちよくつかりすぎると、気づかないうちに温度を上げられ、ゆであがって死んでしまうこともあるのですから(cf.カエルのぬるま湯)。
そうならない為にも僕らは自ら進んで困難と義務を負う人になるべく、日々を生きていかなくてはいけないわけです(自戒の念をこめてお伝えしております)。今日のちょっとした差が明日、明後日、1ヵ月後、1年後、10年後に大きな差となって現れるという事実は誰しも反論がないことだと思います。
油断すると大衆的な生き方が当たり前の今日、少数者というカテゴリに入れるように、お互いに日々勉強していきましょう。
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。
2011年5月6日
山本 和広
読書考察
- 自らに多くを求め、進んで困難と義務を負う人。それこそが僕らが目指す生き方である。