お金のシークレット

こんにちは。
山本です。

さてさて、世の中猫も杓子もワールドカップ・ワールドカップと騒いでおりますが、あなたはどうですか?普段Jリーグは勿論、ヨーロッパリーグのどれも観ない人達がここぞとばかりに夢中になるこの時期。別にそれ自体を悪く言うつもりはありませんが、何か不思議な光景に見えて仕方がないのは僕だけでしょうか?まっこの件についてはまた別の機会がありましたら考察してみましょう。

では。

早速本日の読書考察です。

お金のシークレット

お金のシークレット
デビット・クルーガー 著
神田 昌典 監訳
三笠書房

読んで字の如く「お金」に関して書かれた本ということは誰の眼にも明らかなのですが、僕が先ず始めに気になったのは表紙に印刷されている著者と監訳者のフォントサイズでした。だって、著者のデビット・クルーガーさんより、監訳の神田 昌典さんの字のほうが大きく印刷されているんですよ。何か商業的な匂いがプンプンすると思いませんか?まっカタカナと漢字表示ですから、漢字の方が大きく見えるだけ、と言われればそう思えなくも・・・・いや!ないですね(笑)。明らかにフォントの大きさが違いますから!

うーん。

そういった視点から見ても、期待できないような、期待できないような・・・。

で、読書考察管理人の特権ということで好き勝手書かせていただきますが、僕の予想は全く持って外れていませんでしたね。つまりは、読んでも仕方がなかったって感じですかね。この本から新しく得るものはあまりないと思います。

というのも。

すべてどこかで聞いたことあることばかりなんですよ。「お金」と銘打ってますので勿論「お金」を主眼にした内容ではあるんですが、成功哲学を単に「お金」と結びつけて、「心のバランス」とか「○○バイアス」とか「フレーミング効果」とか「プラシーボ効果」とか、既に何処でも聞くような事を大量に我々に押し付けてくる、って感じです。

で、よく言われていることですが、我々って一気に大量の情報を浴びせられると“脳みそが停止”するんですよ。なので、ばーっと言われて、脳みそが停止させられて、なんか良さげな事が書いてあったなぁ~って印象は残せると思うんですけど、それだけなんですよね。

  • つまりは、何にも残らない

という訳。で、僕的にすごーく嫌だなぁって思ったのが、所々で有名な哲学者の言葉をぶち込んでくるわけですよ。アリストテレスやらキェルケゴールなどを。でも、それって意味ある?って純粋に感じてしまう訳です。ただの“権威性”欲しさにぶち込んでるとしか思えない使い方が、なんか文章の浅さを感じた訳です。

この「お金のシークレット」は300ページ越えの本ですから、本としては分厚いと感じると思います(文字数は少ないので、ゆっくりペースの方でも2時間あれば読めると思いますが)。ただ、内容はないし、300ページあっても結局著者の言いたいことって後半の少しだけなんですよね。それ以外は全部どこかで聞いたことある話のオンパレード。

で、著者のデビット・クルーガーさんが言いたいことは「マネー・ストーリーをつくる」という点なんですけど、それもいまいち伝わりきらない。それは、この「マネー・ストーリー」に辿り着くまでに、色々言われすぎて脳みそが停止してしまうので当たり前っちゃ当たり前。

そんな罠を意図的に仕込んだ張本人(著者)なくせに、「マネー・ストーリー」の箇所で「今まで行ってきたワークであなたの現在のマネー・ストーリーはほぼ明らかになっている」なんて事をぬかしやがるのです。
※この「お金のシークレット」では、いたるところで「ワーク」的なものを問いかけてきます。

と、ここまでぼろくそに書いてしまいましたが、こういう類の本をまだ読んだことがないという方が読んだら、何か新しい発見はあるかもしれません・・・。ただ、上記で僕が書いた「脳みそ停止」の罠が巧みに施されているので、その罠に嵌らないようにくれぐれもお気をつけ下さいませ。

では、前置きが長くなりましたが僕なりの読書考察は以下となります。

1.お金について考えてみた。

意図的とはいえ、デビット・クルーガーさんが我々にお金に関する(?)ワークを提供してくれてますので、一つやってみましょうか。

ワーク
次の質問に一言で答えてください。ぱっと頭に浮かんだ言葉を入れること。
私にとってお金とは「○○○○○」です。

このワーク、実際に「お金のシークレット」のワーク2として記述されているのですが、別に「ぱっと頭に浮かんだ言葉」じゃなくても良いですよ。だって、この手の質問って結構考えないと答えられないと思いますし。もちろん「ぱっと浮かんだ言葉」とわざわざ書いた背景には何かしらの意図があるわけですからね。

で、あなたにも少し時間をとって考えてもらいたいのですが、実際に僕は以下のような言葉が入りました。

私にとってお金とは「従業員」です。

一つ注意点。僕がここでいう「従業員」はなんていうか現実世界の意思を持った従業員ではなく、どちらかというと「機械」に近いです。

というのも、今の世の中当たり前となっていますが、お金を払えば「モノ」が買えます。これはお金が僕のところへ僕が欲しいモノを運んできてくれたということ。つまりは、お金という従業員が運んできてくれたとも言い換えられます。

また、僕が投資を行うとしたら、僕の知識量(投資は知識だけ増やしたって意味がないという事実は置いておいて)に応じて、勝手に働いて増やしてくれます。で、お金がお金を生む仕組みというものを構築してしまえば、まさにそれは従業員。

そんなイメージです。でも僕がここであなたにお伝えしたいことは「従業員」ということではなく、あくまで

  • 主は「わたし
  • 従が「お金

という位置づけをはっきりさせておく、ということです。

もともとお金って元を辿れば、物々交換の手段の代用だったわけじゃないですか。それがいつしか「お金」そのものに価値があるものと錯覚してしまい、今では誰もがお金を主に考えてしまっているという現実があります。

そう、よく言われる「お金の物神性」です。

でもここでよーく考えてみてください。1万円札って、一万円の価値があると我々は思い込んでいますが、あの一万円札ってただの紙ですよ。あの一万円札をつくるのに一万円も原価がかかっているわけないですよね。たぶんうまい棒と同額くらいでつくってるんじゃないかなぁ?そんなものに一万円の信用を置いているだけですよ。我々が。

お金って所詮そんなものです。ただの紙切れ。

2.求めているものは手に入らない。

僕は先ほど

  • お金は所詮紙切れ

とお伝えしましたが、正直僕だってお金はないよりはあったほうが良いと思います。この日本という資本主義の国で生きているわけですから。ただ、

  • 「お金」自体が目的になることは避けるべき

と僕はあなたにお伝えしたいのです。こんな言葉をあなたは聞いたことあると思います。

  • 求めるものは手に入らない

僕はこの言葉真実だと考えています。つまり、「お金」を求めている人って、仮にお金が手に入っても「もっと」と求めてしまうのです。100万円あれば良かったのに、いざ100万円を手にすると、あと100万円欲しい、と。つまりエンドレス。

じゃ、視点を変えて。

あなたがお金持ちだと思う人ってお金を求めていると思いますか?中にはそういう人もいるかもしれませんが、そういう人って得てして人間的魅力は感じられません。そんなところにあるお金もいつかは去っていくでしょう。だってお金はあくまで「従」ですから。よい「主」の方に流れていくわけです。
※少し抽象的な言い回しで申し訳ございません。

きっと我々が傍から見てお金持ちと思う人は、お金以外の違うものを求めて、そのおまけとしてお金がついてきているだけだと思うんですよね。これが、「求めるものは手に入らない」の真実だと今の僕は考えています。

そんなただの紙切れである「お金」を、しかも、求めても結局手に入らない「お金」をあなたはどう考えましたでしょうか。

「お金」に関して、改めて真剣に考えてみるには良い機会になったかな、とデビット・クルーガーさんに感謝しつつ、本日の読書考察は以上となります。

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

山本 和広


読書考察

  • お金は所詮紙切れ
  • 求めるものは手に入らない

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