笑福亭鶴瓶の哲学
こんにちは。
山本です。
僕は普段、家ではほとんどテレビを見ないんですが、ある特定の場所ではテレビを見ることにしています。
それは、週に2~3回通うスポーツジムのランニングマシンの目の前にあるテレビです。
興味が湧くテレビはほとんどないのですが、テレビを見ることによって、少しは考えることもあるので、ジムに行った際はなるべく見るようにはしています。
で、一昨日スポーツジムで笑福亭鶴瓶さんを見ました。
TBSの番組で男性アナウンサーと出ている番組でした。
番組の最後のほうにチラッと見ただけなので、どんな内容だったかはわからないのですが、山田洋二監督で吉永小百合と競演している映画「おとうと」の宣伝のための出演だったみたいです。
まっもちろん鶴瓶さんを幼い頃から知ってはいましたが、俳優としても最近は多くの作品に出ているみたいですね。
司会、俳優、タレント、芸人
ある一部の方々以外にはこのように彼は思われているのではないでしょうか?
まーもちろん我々がよく目にする鶴瓶さんはその通りだと思います。
でも、彼の本業は落語家です。
落語はテレビではほとんど放送されませんので、彼が落語をしている姿を見た事ある人はそう多くないでしょう。
でも彼の公式ネットなどを見てくれればわかると思いますが、落語会も定期的に行っています。
タレント業の彼しか知らない人にとっては、「落語をやる必要があるのか?」と考えがちになってしまうかもしれません。
ただ、その考えはもちろん間違ってますよね。
だって彼の本業は・・・「落語」です。
タレント業が落語の為である、と考えたほうが腑に落ちます。
といっても、何もタレント業は手を抜いてる、といっているわけではありません。これだけテレビの第一線で何十年も活躍し続けている人です。片手まではそこまで活躍し続けるのは困難です。我々の見えないところで、かなりの努力をされている人なのでしょう。
ではそんな彼が本業である落語だけではなく、なぜ?タレント、俳優、などをやり続けるのか?
彼のタレント活動の裏に隠れている真の目的・哲学はなんなのか?
で、ここからは僕の勝手な想像です。
きっと、彼は自分自身を全国に周知させることによって、少しでも落語に興味ある人を発掘したい、と考えているのではないでしょうか。
僕もそこまで落語に詳しくないので、あまり深くは書けないのですが・・・、落語ははまったら、はまるらしいです(少し可笑しな表現ですが)。
余談ですが、私の友人のipodは志ん朝やら米朝やら正蔵やら文楽やら、落語だらけです。移動中でもにやけてしまう時がある、って言ってましたから。
因みに彼はまだ20代です。
そう、結構若い人にも落語ファンは多いのです。
現に、落語の寄席などの前を通ると、若い人も多く見かけることができます。
ただ失礼かもしれませんが、僕は落語が国民的人気芸能になるとは思っていません。
何か常軌を逸するようなブームが起こり、例えテレビで落語を放送したとしても、視聴率20%なんて取れるとは到底思えないのです。
もちろん、落語会の人がテレビで視聴率を取りたい、とか思っているかはわかりませんが、少なからず見る人を増やしたい、とは思っていると思います。
なぜなら、落語を問わず何事も、やはり見る人がいて成り立ち、見る人がいるから発展し、見る人がいるから永続していく、と考えるからです。
誰もみなくなったら、芸も発展しませんし、そもそもやる意味がなくなります。
なので、どうしても落語を商用的とはいえ宣伝する必要があるのだと思います。
でも、落語会のCMとか見た事ありますか?
僕は見た事ありません(そもそもテレビが家にはないのですが・・・)。
ここで笑福亭鶴瓶の哲学です。
(僕が勝手に想像するものですが)
彼は、テレビというマスメディアを使って、「笑福亭鶴瓶」自身を売り込んで、落語を普及させる。
これが彼の哲学だと、僕は考えました。
彼は出演番組で落語の話はほとんどしないと思います。
する必要がないんですよね。
彼自身を売り込むことが目的ですから。
決して落語を売り込んでるわけではない。
自分を売り込むことで、自身に興味を抱いてもらい、そこで落語にも興味を抱いてくれたら、、、、
見方によっては、結局は彼が有名になるだけ、とも思えなくもないですが、久しぶりに彼をみて、僕はやっぱり落語という日本の伝統芸能を彼は意識しているのではないのだろうか、と考えた今日この頃でした。
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。
山本 和広