成年の定義
こんにちは。
山本です。
昨日は成人式でしたが、成年の定義をあなたはどう考えますか?
勿論、我が国では民法第4条で「年齢二十歳をもって、成年とする。」と規定されていますので、20歳になったら成年、と暴君に任せて決めつけてしまえばそれまでです。
選挙権を持ち、タバコを吸い、お酒も飲める。
日本国籍で生まれて20年という歳月を過ごすことができれば、こういった権利が無条件に与えられます。
さて、では成年というのは何を持って成年と定義するのでしょうか?
昨今、成人年齢の引き下げなど話題に上がっていますので、あなたなりの考えもあるかとは思いますが、いかがでしょうか?
ちなみに、僕は成年とは、
身体、精神という両軸の均等がとれた状態
だと考えています。
この状況が整ってなければ、例え年齢が20、30、40歳だろうと成年ではないのです。
私見とはなりますが、今言われている成年とは、単に身体的に20歳を迎えただけの状態をさしているように感じます。
ちょっと誤解を招く言い方になってしまうかもしれませんが、この平和な国では20年という歳月を過ごすことは簡単です。
飢餓の心配もない、内乱の心配もない、戦争に行く心配もない。
身体的に20年という年月を積み重ねれば成年となるのです。
成人式で暴れても、20歳なので成年です。
無思慮に生きても、20歳なので成年です。
家族、他人に迷惑をかけても、20歳なので成年です。
これはあまりにも浅はかな定義ではないかと。
そこで僕が大切だと思う精神面での成年とはいったいどういう状況か?
- 自己の軸を持ち
- 自己の頭で考え
- 知識をアウトプットする力があり
- 自己成長を重ね
- 他者の助けになることを行う
などと、自己啓発セミナー講師のようなことは言いません。
もちろん、上記のことは大切ですが、人間は怠惰な生き物です。
日々、欲望と雑音の中に生きているのですから中々難しいと思います。
そこで、僕が精神面で重要だと思う要素は、
責任を持てること。
だと考えています。
責任を持てないことをするのは、子供の行為です。
責任を持つということは恥ずべき行動はしない、ということです。
(恥ずべき行動の定義は色々あるとは思いますので、今回は割愛します)
この精神と、それに見合った身体の両軸の均等がとれた状態こそが成年である、と僕は定義しています。
人間は成長していく生き物です。
成年を迎えたとしても、より善い成年となるために人間は成長を怠ってははいけません。
成長とは、今見ている景色の幅を広げることです。
前進だけが成長ではないですが、やはり前を見ることは大切です。
そう、両軸が整ってこそ、前進できるのです。
方輪だけでは、同じところをぐるぐる回るだけですよね?
それでは成長はありません。
自分の行動に責任を持てているか?
改めて見つめ直してみるのも良いのではないでしょうか。